「隠れ不登校」とは? その多様な用法と分類 25/05/28

学校に通うことについて、悩みや迷いを抱える子どもたちは少なくありません。近年では、いわゆる「不登校」に加えて、「隠れ不登校」という言葉も広く使われるようになってきました。

ただしこの言葉には明確な定義がなく、使われ方も人や文脈によって異なります。そこで今回は、「隠れ不登校」という語がどのような状況を指して使われているのか、いくつかのパターンに整理してご紹介します。


1.教室には通わないが、学校には来ているケース

学校への登校日数・欠席日数が調査書(内申)に記載されるということで、不登校対応では、教室で授業を受けることから目標を一つ下げて、とりあえず学校まで来ることを目標にすることがあります。

その場合、学校まで来たけれども教室には入らず、相談室・保健室・自習室・図書室などで過ごす(自習する)ケースが多いです。

あるいは、教室での座学を受けるのはきびしいけど行事なら参加できるとか、逆に座学はできるけど体育や音楽だけは参加しないとか、そういう中途半端な状態もあります。

昨今、「無理してでも授業を受けろ」と強要することは禁じ手になっておりますので、その小康状態のまま卒業を目指すケースが少なくありません。(義務教育ならいくら休んでも卒業できます。)

授業には出ていなくても、学校には来ている――こうした状態を「隠れ不登校」と呼ぶことがあります。


2.定義の狭間にあるケース

科省による不登校の定義は「病気や経済的な事情がないのに年間30日以上欠席した児童・生徒」というものですが、この30日という線引きによって、10~29日くらい休んでいるちょっと休みがちな生徒(不登校予備軍)が捉えられなくなります。

あるいは、登校の定義は学校に来ることであって授業を受けることではありませんので、ひとたび学校に来たらすぐ帰ってしまっても登校したことになります。(校門にタッチして帰るというのはやや都市伝説的ですが、駐車場まで親に連れられてくるものの車から降りられないというケースはざらにあります。)

これらは制度上「不登校」には含まれないため、実態とのズレが生じることがあり、これも「隠れ不登校」と表現されることがあります。


3.制度上は出席とされるケース

小中学校では、学校長の判断によりフリースクールへの登校を学校への出席と認めることがあります。正規の学校(一条校)に通わなくとも十分な教育を受けている状態だと正式にみなされるわけです。

また、高校の通信制課程ではそもそもの登校日数をかなり減らせます。つまり教育課程の性質上、登校しなくてもいいから登校していない状態があります。

このように、フリースクールや通信制高校など、制度上の登校圧力が緩和された環境で学んでいる場合でも、事情をしらない第三者から「学校に通っていない」と見なされることがあります。このような状況も、「隠れ不登校」と呼ばれることがあります。(厳密にいえば誤用ですが。)


4.心理的な負担を抱えながら登校しているケース

見た目には毎日登校していても、強いストレスや心理的な負担を抱えている子どもたちもいます。本当は休みたいんだけれど、無理をして学校に通っている状態です。無理をする理由は様々ですが、たとえば「将来のために欠席が多いとマイナスだから」「親が行けというから」などが代表的です。

いうまでもなく、嫌々ながら学校に通って勉強するのは、教育上、のぞましい状況ではありません。場合によっては鬱などの精神的な失調をきたすかもしれません。

こうしたケースでは、本人の「本当は行きたくない」という思いが周囲に見えづらく、「隠れ不登校」と表現されることがあります。(とはいえ、実際に登校できている状態を不登校と呼ぶのはどうかという反論もあります。)


おわりに

このように「隠れ不登校」という言葉は、さまざまな状況に対して使われており、明確な定義があるわけではありません。ですが、それぞれの背景には、子どもたちの個別の事情や思いがあることを理解するための視点として、この言葉が注目されているのは確かです。

現場で支援にあたる大人たちや、制度を考える立場にある人たちが、こうした多様な状況を丁寧に捉えることが、今後ますます重要になっていくのではないでしょうか。